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11億7,981万円が消えた2日間 ── 特別調査委員会報告書を読む

東証グロース 3930 / 2026年7月24日開示「特別調査委員会による調査報告書の公表及び役員報酬の一部自主返上に関するお知らせ」

2026年7月24日、はてなが特別調査委員会の調査報告書(開示版)を公表しました。4月に起きた資金流出事案の全容が、 54ページにわたって時刻つきで記録されています。読んで分かったのは、これが「経理部長がだまされた話」では終わらないということです。 警察を名乗る電話が経理部長の私用携帯に鳴ったのが4月20日の朝8時2分。最初の送金が実行されたのが同日11時41分。 そこから翌21日の午前10時22分まで、32回の振込が止まりませんでした。流出額は11億7,981万円。 止められなかった理由は、ネットバンキングの設定画面と、2年間で経理部長が3人替わった組織のなかにありました。

不正送金の総額

11.80億円
32回の振込正確には 1,179,810,000円

送金が続いた時間

22時間41分
4/20 11:41 → 4/21 10:22夜21時台にも送金は続いた

通期の当期純利益予想

▲7.67億円
修正前は +1.01億円6月12日に赤字転落へ修正
特別調査委員会とは ── 会社が自分を調べさせる仕組み
不祥事が起きたとき、社内調査だけでは客観性を疑われます。そこで会社と利害関係のない弁護士・公認会計士に調査を委嘱するのが第三者委員会・特別調査委員会です。今回のはてなの委員会は日本弁護士連合会の「企業等不祥事における第三者委員会ガイドライン」に準拠。委員長は弁護士で公認不正検査士の中西和幸氏、委員は公認会計士の小池赳司氏と辻さちえ氏。5月7日の臨時取締役会で設置され、役職員14名とY銀行の行員へのヒアリング、PCとクラウドのログ解析(デジタル・フォレンジック)を経て7月17日に報告書が出ました。ガイドライン準拠かどうかは、投資家が報告書の重みを測る最初のチェックポイントになります。
偽警察型の特殊詐欺 ── 電話1本から遠隔操作まで
警察官や検察官を名乗り、あなたが犯罪に関与している疑いがある、と告げて心理的に追い込む手口です。今回は捜査員には専用携帯が配られている、家族にも話すな、という説明で外部との相談を遮断したうえで、ビデオ通話で偽の警察手帳・偽の逮捕状を見せています。そのうえで遠隔操作アプリ(リモートデスクトップ)をPCに入れさせ、画面の向こうから直接ネットバンキングを操作しました。個人を狙う手口が、そのまま法人の資金に向いた形です。委員会は再発防止策として、朝会での注意喚起ではなく年1回の集合研修と、迷ったときの報告先を具体的に決めておくことを提言しています。
職務分掌 ── 「作る人」と「認める人」を分ける
支払いのデータを作る担当者と、それを承認する責任者を別人にする。経理の内部統制でいちばん基本的な決まりごとです。1人で完結できてしまうと、そのアカウントさえ乗っ取られれば会社の口座が丸ごと外に出ていきます。はてなの経理規程にもこの分離は書かれていました。ところが実際のネットバンキングの権限設定では、経理部長のアカウントに「作成・申請」と「承認」の両方が付いたままでした。規程が守られているかではなく、システムの設定画面がどうなっているかが、ここでは分かれ目になっています。

01 ── WHAT HAPPENED

朝8時2分の電話から、翌日の110番まで

報告書の第4章は、分単位の記録です。経理部長のH氏(報告書では匿名)の私用携帯に千葉県警を名乗る電話が入ったのが4月20日午前8時2分。17分の通話のあと、別の番号からもう16分。この時点で家族への口外を禁じられ、H氏は相談相手を失っています。

9時8分、H氏は経理部のチャットに「私用で13時頃出社となります」と書き込みました。10時39分、遠隔操作アプリをダウンロードして実行。10時42分に外部からの接続が確立し、詐欺グループがPCを直接動かせる状態になります。11時41分、Y銀行のメイン口座から9,999万円が出ていきました。二段階認証はH氏自身が通しています。凍結口座への振込だから資金は後で戻る、と説明されていたためです。

4/20 08:02私用携帯に「千葉県警」を名乗る電話。以後、家族への口外を禁じられる
4/20 10:39指示に従い遠隔操作アプリを実行。10:42に外部から接続が確立
4/20 11:41最初の不正送金 9,999万円。二段階認証はH氏が通した
4/20 12:36Y銀行の4口座がほぼ空に。残高は数千円まで落ちる
4/20 13:10H氏がチャットで上司の取締役に「給与出金の準備」として3億円の資金移動を依頼
4/20 13:13取締役が「以前もあったようなことかと思いますので、必要であればお願いします」と承認
4/20 13:34部下のD氏が「サブ1、3口座の残高が少額になり」と異変に気づき質問
4/20 13:36H氏「状況を把握済ですので、後ほど説明します。資金移動のほうを先にお願い致します」
4/20 16:14Y銀行の支店から取締役へ電話。9,999万円の送金が3回あった件の照会
4/20 16:25以降の資金移動は取締役へのメンションなしで進む。上司の承認は事実上なくなる
4/20 19:52H氏が銀行に電話し、口座の利用制限を自ら解除してもらう
4/20 21:17この日の送金が終了。メイン口座の残高は34,722円
4/21 10:131億9,000万円を資金移動。10:19と10:22に計1億5,000万円が流出
4/21 10:53Y銀行が出金を停止。以降の振込は失敗
4/21 11:00H氏が銀行の窓口と話すうちに冷静さを取り戻し、詐欺だと気づく
4/21 11:08家族の携帯を借りて110番通報。約8分の通話で全てが詐欺だと知る

目を引くのは、詐欺グループがPCを操作しているあいだ、H氏は別室に移されていたという記述です。ビデオ通話は維持したまま、必要なときだけ呼び出されて二段階認証を通す。画面の角度も、見えにくいように調整させられていました。

資金は外に出たが、情報は出ていない

委員会はログを追い、遠隔操作中の動きが銀行サイトへのアクセスと送金承認、残高照会、通信アプリの導入に限られていたと結論づけました。共有ドライブや会計システム、顧客情報のファイルを開いた記録はありません。ただし画面に映っていた残高や取引先名を相手が目で見て覚えた可能性までは否定できない、とも書いています。経理担当者による横領ではなかったこと、個人情報の持ち出しが確認されなかったことは、この事案の数少ない救いです。

02 ── THE REFILL

口座が空になるたび、別の銀行から補充されていた

この事案が11億円規模まで膨らんだ理由は、口座残高のグラフを見るといちばん早く分かります。詐欺グループが動かせたのはY銀行の口座だけでした。Y銀行の残高が尽きると送金は止まる。ところが止まらなかった。X銀行から資金が7回にわたって運ばれてきたからです。運んだのは詐欺グループではなく、社内の正規の手続きでした。

Y銀行メイン口座の残高 ── 4月20日13時44分から翌21日10時22分まで

単位:円 / 上向きの垂直線=X銀行からの資金移動(補充)、下向き=詐欺グループへの振込

3億 2億 1億 0 4月20日 4月21日 3億円 補充 9千万 9千万 9千万 1.8億 1.9億 銀行が出金停止 13:44 15:08 17:39 19:37 21:17 10:13 10:22
報告書に記載された各送金・資金移動の時刻と金額から残高を再現した図。13:44時点の300,004,722円と21:17時点の34,722円は報告書に明記された実額で、両端が一致することを確認している。中間の増減はイベント単位の近似。

補充の頼み方はチャット1本です。「本日付けで、X銀行からY銀行へ資金移動9000万円を作成してください。作成時に承認依頼は私にして、二次チェックは@Fさんへ依頼してください。何度もすみません」。同じ文面が、夜の17時53分、18時50分、19時24分、19時32分と繰り返されます。作成担当も確認担当も、そのつど正しく手を動かしました。手順どおりに。

異変に気づいた人は、いた

13時34分、経理メンバーのD氏はサブ口座の残高が減っていることと見知らぬ振込先に気づき、チャットで質問しています。返ってきたのは「後ほど説明します。資金移動のほうを先にお願い致します」の一言でした。D氏はそれ以上踏み込まず、以降の異常な頻度・金額・時間帯の指示を、間違いなく処理することに集中しています。委員会のヒアリングでは経理部の空気について「なんとなく質問しづらい」「部長は忙しそうだからまずは自分で考えてから質問・相談をする」という証言が出ています。統制が壊れたのはシステムの設定だけではありませんでした。

03 ── THE HOLES

設定画面に開いていた3つの穴

委員会が原因分析でいちばん厳しく書いているのは、H氏の判断ではなく内部統制の側です。総括にはこう書かれています。「オンラインバンキングのアカウント設定さえ規程通り単独では振込できないものであれば本件の発生を防ぐことができ、H氏のアカウントの上限金額が適切に設定されてさえいれば被害金額の拡大を抑えることができた」。

実際の状態起きたこと
権限の設定 Y銀行では経理部長のアカウントに「作成・申請」と「承認」の両方が付与。経理規程の職務分掌と食い違っていた 乗っ取られたPC1台で振込が完結した
上限金額 承認の上限が初期設定の999,999,999,999円のまま。上司のアカウントには金額が設定されていた 口座残高がある限り、いくらでも出せた
通知 入出金と残高割込のメール通知は銀行の有料オプション。前任者の時代から未契約のまま 口座が空になっても誰にも届かなかった

この3つに、権限の棚卸しが一度も行われていなかったこと、資金移動に会社としてのルールが存在しなかったことが重なります。もっとも象徴的なのはX銀行との差です。X銀行のシステムは同一アカウントに作成権限と承認権限を同時に設定できない仕様でした。だからX銀行の口座から外部への流出はゼロ。同じ会社の、同じ担当者の、同じPCで、銀行の仕様が違うだけで結果が分かれています。

権限がこうなった経緯も記録されています。H氏のアカウントは当初、作成・申請の権限だけでした。2025年3月、部長昇進にともなって承認権限が追加されます。本来は作成権限に「代えて」承認を与えるべきところが、「加えて」になった。誰が設定したのか、上司も本人も記憶がなく、委員会は前任のI氏が引き継ぎの過程で自分と同じ設定をコピーしたのだろうと推察しています。そしてその状態を、管理者権限を持つ2人ともが把握していませんでした。

チャットの「見ているはず」が誰も見ていなかった

支払チャットルームには上司の取締役も入っていました。全ての投稿が見える状態です。ただ本人は自分がメンションされた投稿を中心に読んでいた。管掌範囲が広く、参加しているチャットルームが多かったためです。この運用は経理メンバーに明示されていませんでした。だからメンバー側は「チャットが見えていても何も言ってこないし、金額が大きかったので当然事情を知っているものと思った」。一方でH氏は「問題があれば止めるだろう」と考えていた。全員が他の誰かを見ていて、実際には誰も見ていない状態です。

04 ── THE BACKGROUND

2年で経理部長が3人替わった会社で起きた

報告書の第4章第2節は、事件そのものより長い分量を経理部の人事に割いています。委員会の見立てでは、ここが根っこです。

2012年〜経理部長のK氏ら2名が長年にわたり実務を担う。業務マニュアルはなく、処理はこの2人の知見に依存していた
2023年9月K氏らを指導する立場としてI氏を採用。関係は円滑にならなかった
2024年7月末本決算を目前にK氏らが退職の意向。引き継ぎはほとんど行われないまま8月末に退職
2024年10月会計監査人があずさ監査法人から太陽監査法人へ交代。翌期は初年度対応が加わる
2024年11月経理経験19年半のH氏をマネージャーとして採用。部門マネジメント経験の不足は採用時から懸念されていた
2025年2月入社4か月目のH氏が経理部長に昇進。以後、部長としての教育・研修は実施されず
2025年4月I氏が退職。引き継ぎ文書は当面の処理手順が中心で、リスクや部長の役割は整理されていなかった
2025年7月H氏の残業81時間26分+休日労働59時間20分。8月は102時間35分+100時間51分
2025年9月H氏が休職。経理スタッフのD氏もほぼ同時期に休職
2025年9月24日太陽監査法人の監査結果報告書が「来期以降の主な検討課題」として経理部の立て直しを指摘
2026年2月H氏が復職。資金管理を含む部長職の権限は休職前と同じまま全て戻された
2026年4月14日監査役会に「経理部体制の経緯と現状の件」が報告される。事案の6日前
2026年4月20日資金流出事案が発生

委員会は復職時の判断についても指摘しています。産業医の意見や本人の不安への配慮から休職前と同じ権限を戻したこと自体は理解できる。ただ資金管理の権限は詐欺的誘導に悪用されうる重要な権限で、業務上の必要性や本人への配慮とは別に、統制の観点から範囲を検討し直すべきだった、と。

もうひとつ、報告書の数字で目を引いたのが会議の長さです。2024年7月期からの41回の監査役会は、1回を除いてすべて所要時間30分以下。平均は25.5分から29.3分でした。社外監査役の1人は41回中40回がオンライン参加。取締役会も平均42分から48分です。監査計画の重点項目は約3年間変わっていません。委員会は監査役会について「職務意識の高さ及びリスク感度の高さは感じられなかった」と書いています。

05 ── THE NUMBERS

黒字予想から一転、7.67億円の最終赤字へ

数字への反映は6月12日でした。同日の第3四半期決算短信の営業外損益・特別損益の説明に、資金流出事案に伴う損失1,179,810千円という一行が入っています。被害の最大額をそのまま特別損失に計上した形です。回収は関係金融機関と連携して進めており、確定すれば特別利益として計上する予定と説明されています。

2026年7月期 通期予想前回予想修正後増減
売上高38.59億円36.40億円▲5.7%
営業利益1.36億円1.13億円▲17.1%
経常利益1.46億円0.90億円▲38.3%
当期純利益1.01億円▲7.67億円▲8.68億円

営業利益はまだ黒字です。本業が壊れたわけではありません。壊れたのは営業外から下の部分で、11.8億円の特別損失が一気に最終利益を持っていきました。繰延税金資産の計上で法人税等が3.57億円分のマイナスとなり、赤字幅はいくらか抑えられています。

貸借対照表に残った跡 ── 2025年7月末と2026年4月末

単位:百万円 / 左=前期末、右=第3四半期末

4,000 2,000 0 2,137 951 2,816 2,118 3,451 2,710 現金及び預金 純資産 総資産 ▲55.5% ▲24.8% ▲21.5%
2025年7月末 2026年4月末(第3四半期末)
四半期貸借対照表より。現金及び預金は2,136,804千円から950,978千円へ。減少額の全てが流出被害というわけではなく、通常の運転資金や投資も含む。同期間に短期借入金250,000千円が新たに計上されており、前期末はゼロだった。自己資本比率は81.6%から78.2%へ低下。

手元の現金が21.4億円から9.5億円まで落ち、それまでゼロだった短期借入金が2.5億円立っています。自己資本比率78.2%は依然として高い水準ですが、財務の余裕が目に見えて削られたことは貸借対照表に残りました。回収がどこまで進むかが、来期以降の数字を左右します。

06 ── THE RESPONSE

7月24日に会社が示したもの

今回の開示で会社が発表したのは3点です。調査結果の概要、役員報酬の一部自主返上、そして再発防止策の策定を進めていること。

役員報酬の自主返上

  • 代表取締役社長 ── 月額報酬の20%を6か月間
  • 取締役コーポレート本部長 ── 同じく20%を6か月間
  • 取締役コーポレート本部長は次回の株主総会での任期満了をもって退任する意向

すでに実施済みの対応

  • 出金手続きの決裁権限の見直しと厳格化
  • 出金実行環境のセキュリティ強化
  • 再発防止策は策定中。詳細が決まり次第あらためて公表

委員会の提言は8項目にわたります。資金移動をチャットではなくワークフローシステムでの申請・承認に切り替えること。ネットバンキングの管理者権限を経理部の外(情報システムチームなど)に置き、経理部には利用者としての実行権限だけを残すこと。年1回以上のアカウント棚卸し。遠隔操作ツールをカテゴリ単位でブロックし、すり抜けた場合はEDRで検知すること。偽警察型の手口を扱う年1回の集合研修。専任者を置いたリスクアプローチ型の内部監査。委員会は「導入困難なものがあるとは考えていない」と書いています。

07 ── FOR INVESTORS

決算書に出てくる前に、兆候はどこにあったか

この号外を作ろうと思ったのは、これが決算書を読むだけでは絶対に見つからないタイプのリスクだったからです。2026年7月期の第2四半期まで、はてなの数字に異常はありませんでした。異常があったのは、有価証券報告書やコーポレートガバナンス報告書の、数字ではない部分です。

報告書から読める兆候

  • 経理部長が2年で3人替わり、うち1人が本決算直前に引き継ぎなく退職
  • 入社4か月の人物が経理部長に昇進し、その後の教育は実施されず
  • 経理部長と部員が同時期に休職
  • 会計監査人の交代。翌期に「経理部の立て直し」が検討課題として指摘された
  • 独立した内部監査部門がなく、兼務者2名が全社を監査

それでも守られたもの

  • X銀行の仕様上の制約により、同行からの外部流出はゼロ
  • 横領ではなく外部詐欺であることが調査で確定
  • 顧客情報・人事情報の外部流出は確認されず
  • 営業利益は黒字を維持。本業の収益構造は毀損していない
  • 被害の全額を早期に特別損失として処理し、回収分は今後の特別利益

号外の視点 ── 人が辞める会社の、会計以外のリスク

経理部長の交代は、決算数値のどこにも現れません。監査役会が毎回25分で終わっていることも、有価証券報告書を丁寧に読めば分かるのに、株価には織り込まれません。今回の委員会の総括はこう締めくくられています。役職員が優秀で自主性とリテラシーを備えていたから、これまで大きな事故がなかったのかもしれない、と。裏返せば、優秀な個人に支えられた統制は、その個人が1人欠けた瞬間に崩れます。数字が綺麗な会社ほど、数字以外のページを見ておく理由がここにあります。

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